豆まきで認識技術を使ってみる
ご訪問ありがとうございます。
今日は、節分でしたね。
豆まきが懐かしい1日ですね。
パートナーとコンビニに行ったとき、「あ、豆まきだ」っていってるのを聞いていて、
節分というイベントも認識技術を使っていくことで、
とてもいいイメージが作れるんだな、と浮かんできました。
日常をどう捉えていくか、で本当に毎日が変わっていきます。
興味ある方はぜひ読んでいただければ、と思います。
まず、「節分」とはどういう意味があるか、知ってますか?
節分(せつぶん/せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。 節分とは「季節を分ける」ことも意味している。 江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。by wikipedia
なので、本当は年に四回あるそうですね。
「鬼は外」「福は内」って豆まきをやっていたのが懐かしいです。
邪鬼や悪いものは外へ追い払って、福や幸せはうちに入れる。
普段の自分にとっての課題や、問題をイメージしながらやっている人も
いるかもしれません。
これも、認識の変化をしたところから、自由に解析をしていけば、どうなるのか?
認識技術は、0 = ∞ = 1で表現できる、たった1つの動きの仕組みを使って、
全てを整理していきます。
自分と自分の宇宙は実在しない。
=自分があると思っている宇宙もない。1つの動きからできたり消えたりしている。
その動きイメージ、力イメージを使っていきます。
善悪や鬼があると思っているけれど、
本当はそれも自分が作り出している。
本当の自分はそれを作り出している無限の可能性そのもの、
動きそのものなんですね。
脳の認識のくせから見て、自分と自分以外を分けてしまうこと。
自分の外と自分の中を分けてしまうこと。
「鬼は外」と言えば、外を作って存在させてしまうことが鬼=不幸の原因であり
「福は内」と言えば、「中も外もない、全てが自分だ」
というイメージで見てみる。
鬼に日常の嫌いな人だったり、トラブルをイメージする人がいれば、
それ自体も自分の観点が作り出した幻覚なんだ、と納得して理解していく。
現実が脳の観点で見せている錯覚であることを分かった上で、
あえて鬼を作って、鬼を作りだした自分の観点と出会って溶かしていく。
その上で、鬼とも仲良くなって、共通のビジョン、夢を作る。
そのようなイメージから、鬼とも仲良くなれれば最高じゃないでしょうか?
今回は「鬼は外、福は内」。節分をテーマに認識技術の生かし方を書いてみましたが、
読んでみていかがでしたか?
日本には認識技術を活かせる多様な言葉、習慣があります。
自らが無限の可能性そのものの自分になって、今ある文化を生かしながら、
それを生かしていくこと。
全てと共存できるALL -WINができる生き方を作っていくことで
「生きててよかった」と言えて、感謝される最高の時代を作る。
日常がワクワク、発見、楽しみで溢れている日常。
そんな「尊厳」ある未来を作っていきませんか?
今日もお読みいただきありがとうございました。