自分の認識を疑う、とは?
こんばんは。
平井健太です。
前のブログ記事の続きを書いています。
認識を疑うとはなんでしょうか。
私たちの日常は
「脳」で認識した情報やデータを
部分だけ受け取り
存在させて
意味価値をつけて
それらを組み合わせて
日常に使っています。
今自分が部屋の中にいるとしたら。
「今スマホを触ってブログを読んでいる私」を例題に考えてみると
その中には
私という存在
私の手という存在
私の手を巡っている血液
体
部屋
大阪
日本
世界
宇宙
無意識にはこれだけのものがあって、「スマホを触ってブログを読んでいる私」という部分を認識しています。
自分の認識を疑うことでどんな世界が見えてくるのでしょうか。
次は、認識を疑った人がどのような世界を、どのような時代を見ているのでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございました。