和田岬という神戸の守り神
今日は客船コンチェルトで彼女と楽しく休日を過ごして来ました。
コンチェルトは、2時間ほどで神戸ハーバーランドから出航→明石海峡大橋が見える位置まで行く→帰ってくる観光客船。
その船のウグイス嬢?の方がすごくいいお話をされてたので、その話を基に紹介します。
みなさんは神戸にある和田岬というところをご存知ですか?
今年は明治元年から150周年。
ブラタモリでも紹介されてましたが、神戸は黒船来航後、日米修好通商条約で開港された日本の港の5つの内の1つ。
大きな船が来れるほどの海なので、実は明石海峡からの波の影響もあり、
本来であれば船の停泊には適さない場所だそうです。
海の流れを緩やかにしてくれたことで、船の停泊を可能になりました。
その為、大阪と西国を結ぶ交通の要所として発展してきました。
そして、日米修好通商条約によって開港。
そのおかげで異人館と共に現在の港町神戸が生まれました。
それと時を前後して黒船が来航し外国の脅威に備える為に
また、今回偶然だそうですが、潜水艦が陸揚げされていました。
(写真右下の黒いやつです↓↓)
初めて知りましたが、実は神戸は日本で唯一潜水艦を作ることのできる街。
(川崎重工と三菱重工の2社のみであり、いずれの造船所も神戸に所在。)
陰から日本を守っている。
そんなことができるのも、明治開港以来、神戸が造船の街として船を造り日本を盛り立ててきたから。
太平洋戦争では世界で初めて「飛行機を船に乗せて運ぶ=(空母の使用)戦法を使った日本において、空母瑞鶴など、たくさんの船 が作られた場所でもあります。
そして、それらが全て和田岬という一つの場所に集まっています。
なので、歴史を重ねてイメージして観れば、和田岬砲台、瑞鶴、潜水艦この3つが重なる場所が和田岬であり、
「今私たちがどう生きるのか、どんな社会を作るのか」
をいつも見守っている、とも言えるのではないでしょうか。
目を閉じてみれば、それらを作る人たちの動きや躍動感も見えてきませんか?
(空を見上げれば飛行機が飛んでいました。)
異人街や繁華街が華やかに見える街、神戸。
観点を取り入れて、目に見えるものだけでなく、たくさんのものを見てみればいつもと違う何かとの出会いがあるはずです。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。