分かり合える?分かり合えない?「分かり合う」に思うこと
こんばんは。いつもありがとうございます。
年の瀬も近づいてきました。
年末といえば、棚卸し&大掃除。
今年も JAPAN MISSION PROJECT をはじめ、
色々なチャレンジ、色々な人との出会いがありました。
仲間が増えたのもとても嬉しいことですし、
一歩ずつ、尊厳社会の到来が近づいているなと感じます。
そんな中でふと気になったのが、「分かりあう」ということ。
自分も時々「分かり合える関係」という言葉を使うことがあります。
パートナー同士でも大切なことでもありますし、
人によって、捉え方が全く違うだろうな、と思います。
相手のことが「分からない」ことで関係性が壊れてしまうこともよくありますよね。
自分が表現する「分かり合う」とは、
なぜそうなったか、そう感じたか、そう思うのか、
仕組みで見えること。
「この観点を持って、この条件になったら、それAって思うよね。」
ということが、お互いの無意識の仕組みを共有することで、
わかるようになること。
俗にいう、
「自分が感じている思っている情景、考えが
100%自分が感じているのと同じように
相手にリアルタイムで伝わって、共有共感がしてもらえる」こととは違います。
それは、観点の違いがあり、仕組みから見たときには不可能です。
私もパートナーがいますが、パートナーと年齢や育った環境が違うので、
相手が言っていることを同じようにイメージしようとしてもできないです。
そうではなく、
無意識の仕組み、観点の生まれる仕組みを知り、活用することで、
相手がどんな観点を持ち、
その観点から見たときに、
「目の前の出来事がに対してどんな考え、感情を持つのか理解できる」ということ。
自分もその観点を持っていたら、そうなるだろうな、って共感する。
内容ではなく、仕組みで理解できる。
そして相手も自分も共通の仕組みでできていることに対して、
共有共感ができること。
それが、これからの時代の分かり合う、分かり合えるということではないでしょうか?
みなさんはどんな関係性、パートナーシップを作りたいですか?