叱られたい、愛されたい欲求
こんばんは。
平井健太です。
皆さんは、叱られたい欲求ってありますか?
少し厳しいことを言われたり
あえて自分の未熟を指摘されると
ちょっと喜んだり、テンション上がってしまう、とか。
実は結構いると思います。
ちょっと厳しいことを言われる方が繋がれたりする感覚を持ってたり、
嫌な気もするけど楽しい!
という感覚はありませんか?
そうはいっても、誰にでも厳しいことを言われたいわけではありません。
じゃあなんでそのようなことをするの?
というと、キーワードは「愛情」だと思います。
厳しいことを言えるぐらい自分に向き合ってくれている
真剣な眼差しを感じているのではないでしょうか?
同時に、親に愛された感覚があまりない、と言われると思い当たる節はないでしょうか?
実は人のアイデンティティは0〜12歳の間に9割が決まると言われています。
人間は誰でも愛されたい生き物ですが、「愛されなかった感覚がある」人にとっては、どんな形でも愛してもらえる、自分のことを見てもらえているという実感はめっちゃいいはずです。
そこにいい、悪いの境界線はなく、ただ純粋に「過去の経験によって持った自分のイメージ」が「過去とつなげてとる」脳の認識のくせによって強化され、イマココの自分の認識を作っているだけ。
ただ、それに固定されると、依存体質になってしまったり、わざわざ上下を作って自分を分離させてしまう、という悪い方向性に行く可能性がある、ということ。
これからは自分のアイデンティティもわかった上で、
お互いが生かしあえる生き方の模索が必要です。
そして、お互いが本音、ぶっちゃけアウトプットができて、
「お互いの主張が合わなくても問題ない」
と言い切れる最高に信頼できる関係性をどんどん作って行きたいと思います。
皆さんはどんな人とどんな関係性を作って行きたいですか?
今日もありがとうございました。