閉じた心
こんにちは。
コロナ禍になってからは、紙の資料やパンフレットが懐かしい、とさえ思うこの頃。
そして、収束しても、再び1000人も2000人も人が集まるようなイベントにいくのだろうか。
大人数の集まりはしんどいな、と思う今日この頃。
今年3月に開催される予定だった、Re・riseフェスティバル@大阪のパンフレットを読んでいました。
これ、ものすごいですね。
世界基軸教育がなぜ必要なのか。
哲学的、宗教的、歴史的、心理学的、社会的アプローチから述べられている。
じっくり読んだら1日では受け止めきれないなって。
今日は最も響いたところをひとつ紹介しようと思います。
それが、「秩序=我慢。」
秩序を維持する為にたくさんの観点が我慢されてきた。
王様、神様の観点しか許されない時代があった。
1人1人の観点を大事にしようとする動きの過程でたくさんの血が流れた。
多くの観点が認められ、感覚を大切にできるようになったが、互いに認め合い喧嘩を避けようとすれば、
我慢して合わせるしかない、ということである。
そして、我慢の結果、我々は迷っている、
どの情報が正しいのか、客観的事実がどれで主観的事実がどれなのか、判断することが非常に難しい。
そして、「聞かなければいいんだ」と人の話が耳に入ってこなくなる。
クローズな心が無数に生まれている。生まれ続けている。
だが、思いをはせてみてほしい
生まれたころ、小さい頃はこれはなんだろう?と分からないながらもたくさんのことにチャレンジしたことを。
オープンな心で出会いをしていたこと。
傷つきながらも出会うしかない、やり続けるしかない、1人1人の涙と今日も出会っている。
尊厳の魂が奥底に眠っている。
心の条件反射について書こうと思っていたのに、全く違う内容になってしまいました(笑)
お読みいただきありがとうございました。